「東南アジアの社会と文化研究会」のお知らせ

第66 回研究会<2014/11/28>
笹川秀夫氏
カンボジアにおける文化ナショナリズムの影響力と多様な語りの可能性:
プレア・ヴィヒア遺跡領有権問題と大型影絵芝居のユネスコ無形文化遺産への登録から


第66 回「東南アジアの社会と文化研究会」を下記の通り開催します。 オープンな研究会ですので、ご関心をもたれた方はぜひお気軽にご参集くださ い。事前登録等の手続きは必要ありません。

●日時

2014年11月28日(金)16:00~18:15(15:30開場)

●場所

京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
総合研究2号館(旧・工学部 4号館)4階会議室(AA447)

●話題提供者

笹川秀夫氏 (立命館アジア太平洋大学アジア太平洋学部准教授)

●発表要旨

配布資料

 本報告は、タイとの間で武力衝突にまで至ったプレア・ヴィヒア遺跡の領有権問題と、同じくタイとの間で摩擦を生じかけた大型影絵芝居のユネスコ無形文化遺産への登録を事例として、近年のカンボジアにおける文化ナショナリズムのあり方を検討する。あわせて、カンボジア文化をめぐる語りにどのような多様性が見られるか(あるいは、見られないか)を探ることを目的としている。
 カンボジアとタイの国境地帯、ドンレーク山脈の断崖絶壁に位置するプレア・ヴィヒア遺跡(タイ名、カオ・プラウィハーン)は、2008年7月8日、ユネスコの世界遺産に登録された。2007年の下院選挙によりタクシン派のサマック政権が成立していたタイでは、PAD(いわゆる「黄色シャツ」)が、カンボジアによる単独登録を政権にゆさぶりをかける材料とし、世界遺産登録を契機に街頭デモを開始した。また、PADのメンバー数人が遺跡に侵入したことから、カンボジアとタイの両軍が派兵する結果となり、その後の3年間で両軍に計30人以上の死者を出している。  タイ研究では、この問題をタイの国内政治に結びつける論考が複数発表されている。しかしカンボジア研究では、この問題をカンボジアの国内政治との関連から分析した論考は見られない。カンボジアにおいても、与党人民党は、2008年の総選挙に向けたキャンペーンに、プレア・ヴィヒア遺跡の世界遺産登録と領有権問題を大いに利用した。そこで本報告では、タイの女優による「アンコール・ワットはタイのものである」という「発言」をめぐる噂が選挙キャンペーンに利用され、プノンペンにおけるタイ大使館とタイ系企業の襲撃事件にまで発展した2003年の総選挙と、アンコール遺跡をめぐる文化ナショナリズムを刺激する出来事のなかった2013年の総選挙と比較しつつ、プレア・ヴィヒア遺跡をめぐる問題をカンボジア国内政治との関連から分析したい。  なお、問題の発生から数年が経過した現在、タイ人研究者とカンボジア人元外交官がこの問題を扱う著作を共同執筆したり、カンボジア人若手研究者がカンボジアとタイにおける歴史叙述や歴史教育を客観的に分析する博士論文を日本で執筆するといった変化も起きている。そのため、カンボジアの学界における語りの多用化という点についても、若干の言及を行ないたい。  2011年8月、インラック政権の成立により、プレア・ヴィヒア遺跡をめぐる問題には一応の終止符が打たれた。しかし同月、タイの文化大臣が古典舞踊と大型影絵芝居をユネスコ無形文化遺産に登録することを企図し、2008年にこれらをすでに登録していたカンボジアを批判した。カンボジアの文化芸術省は、これら古典舞踊と大型影絵芝居がアンコール時代からつづく伝統であると応酬し、新たに両国間に摩擦を生じかねない事態になった。カンボジア人民党とタクシン派との良好な関係から、この問題はプレア・ヴィヒア遺跡のように両国の関係悪化を招くことはなかったが、これもカンボジアにおける文化ナショナリズムの事例として検討が可能だろう。
 報告者は、これまでの文献資料収集から、1980年代以降のカンボジアにおいて、影絵芝居にまつわるタイ語からの借用語を排除していった過程を把握している。また、2001年3月および2014年8月には、シアム・リアプとプノンペンにおいて、影絵芝居の劇団や影絵人形を制作するNGOを一通り訪問する機会を得た。そこで本報告では、カンボジアの影絵芝居ついて記された内戦前から今日に至るまでの文献を概観し、現地調査で得られた知見と対比しつつ、影絵芝居をめぐる語りのあり方についても検討することとしたい。



2014年度世話人代表・研究会事務局
小島敬裕 (京都大学東南アジア研究所)
kojima(at)cseas.kyoto-u.ac.jp
加藤裕美 (京都大学白眉センター)
kato(at)cseas.kyoto-u.ac.jp