「東南アジアの社会と文化研究会」のお知らせ

第55回研究会<2012/5/30>
井上さゆり氏
ビルマ古典歌謡における書承の変遷

第55回「東南アジアの社会と文化研究会」研究会を下記の通り開催します。オープンな研究会ですので、自由にご参加ください。

●日時

2012年5月30日(水)16:00〜18:00 (15:30 開場)

●場所

京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
総合研究2号館4階第1講義室(AA401)

●話題提供者

井上さゆり(大阪大学大学院言語文化研究科言語社会専攻)

●発表要旨

配布資料

 本報告の目的は、ビルマ古典歌謡の伝承手段における書承の範囲の変遷について明らかにすることである。
 ビルマ古典歌謡は「タチンジー(大歌謡)」と総称され、歌謡集に残された歌詞は1000篇を超える。しかし、歌詞のみが伝えられ旋律は失われてしまった作品も多い。
 歌謡の歌詞と旋律の伝承の両方とも、もともとは口承だったと考えられるが、現在では歌詞については歌謡集に頼って学ぶことが多い。それに対し、歌の旋律と楽器演奏の伝承は現在に至るまで口承が主流である。
 報告者が貝葉写本で確認できた歌詞の記録は、18~20世紀にわたる。これらの貝葉写本を見ると、当初は学習のための歌詞の記録を目的としていたものが、作品を後世に残すための記録、さらには、異本の整理、ジャンルの分類とその目的が変化していることが分かる。
 一方、口承が主流の旋律と楽器演奏部分も、20世紀以降、様々な形式で記録され、1950年代より西洋の五線譜による記譜が為されるようになった。しかしそれらは、容易に暗記できる初歩の曲の記譜にとどまり、ほとんど実用性はなかった。当時の記譜の目的は、「古典」や「伝統」を可視化することにあったと考えられる。
 そうした中、マンダレー在住の音楽家ウー・ミィンマウン(1937-2001)が、1960年代以降に大量の記譜を開始し、それを教育にも積極的に用いたことから、彼の弟子の間では五線譜が極めて効果的に利用されるようになってきた。彼の弟子には著名な音楽家や、ヤンゴンとマンダレー両都市にある芸能学校と文化大学音楽科の教員が多く、その影響は近年ヤンゴンの奏者にも広まりつつある。
 本報告では、ビルマ古典歌謡の伝承における書かれたものの対象の変化と、書かれたものの目的と役割を考察することで、書承の範囲の変遷について明らかにする。
 

[研究会世話人/事務局]
片岡 樹 (京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
kataoka(at)asafas.kyoto-u.ac.jp

備考
・事前の参加予約は必要ありません。